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## 第一話 煉瓦街の雨
台湾版 負犬小説組より転載 画像加工:沈睡王国の小暗喵 1 明治の時代【注:おおよそ西暦一八六八年から一九一二年を指す。】の近代的な街並みといえば、まず頭に浮かぶ銀座煉瓦街に、いま大雨が降りしきっていた。 はじめのうち雨脚は細かったが、雷鳴は煉瓦の建物を引き裂かんばかりに轟いていた。その響きがやや収まったかと思うと、バケツをひっくり返したような豪雨が地面を叩いた。 傘など何の役にも立たないほどの雨だ。幸い、煉瓦街にはアーケードがある。洋装の婦人、紳士、使い走りの丁稚たちが四方へ駆け出し、幅十五間【注:一間はおよそ一・八メートル。】の大通りはがらんと空いた。走っていた人力車も止まり、ずぶ濡れになりかける客を急いで救い出す。誰もが、いちばん近い軒先へと逃げ込んだ。 「やれやれ、この雨にはかなわん。」 縞のズボンに山高帽をかぶった男が、見慣れた建物へと駆け込んだ。銀座煉瓦街ではきわめて珍しい、木造の引き戸の小屋である。 突然の来客に、屋内の男たちは興味を引かれたように薄く目を開け、唇の端に笑みを浮かべた。 「誰かと思えば、伊勢じゃないか。自分から来るとは思わなかった。」 「失礼します、原田の旦那。いやはや、えらい雨ですな。」 伊勢がステッキを置き、濡れた帽子を拭うのを見て、窓の外を眺めていた原田巡査は小さく頷いた。 「たしかに大雨だ。当分、外を歩く者はいないだろう。」 小屋の奥で、さっきまで十代の少年と話していた若い同僚が、穏やかに手を招き……
## 第二話 赤手が拾った子
1 赤手には、いまが明治の時代だとよく分かっていた。 江戸の世が終わって二十年。赤手にとって明治とは、昨日まで何の変哲もなかったものが、あっという間に姿を変えてしまう時代だった。 道には馬車鉄道が走り、人々は遠出ができるようになった。提灯に代わってアーク灯が夜を昼のように照らす。年ごとに暮らしが大きく変わり、それが今の日常だ。 しかし—— 今日、目の前で起きた変化を見て、赤手は呆然と立ち尽くした。つい先ほどまで、この女の子は見た目が三歳くらいだった。たしかにそうだ。見間違いではない。 ところが気がつけば、女の子は小学校の尋常科【注:一九四七年の学校教育法施行前、日本の旧制学校の課程名。尋常科を終えると高等科へ進むことができた。】に上がる頃、六歳ほどの姿にまで成長していた。「子どもは成長が早い」という感じではない。目を離した隙に、誰かが子どもをすり替えたとしか思えなかった。 「気のせいだろうか」 一瞬、赤手はその考えを受け入れることにした。 「いや、夢を見ているのかもしれない」 「そもそも、子どもはあっという間に大きくなるものだ……」 赤手はあれこれと可能性を呟いた。しかし、どれほど自分に言い聞かせても、首筋の産毛は勝手に逆立った。 かつての江戸の地である銀座には、明治に入って、西洋文明の窓口とでも言うべき街並みが広がっていた。イギリスのリージェント・ストリートを模したと伝えられる煉瓦街だ。二階建ての煉瓦建築が連なる通りには、アーケードや並木、歩道まであり、まったく見……
## 第三話 妖怪報道
1 「この記事には、近ごろ妖怪がふたたび世の中に戻ってきた、と書いてある。江戸と一緒に消えたと思っていた妖怪が、明治になってまた現れた、と」 銀座の牛鍋屋「百木屋」の和室で、原田巡査は新聞を手に何度も頷いていた。彼は近くの銀座の交番に勤めている。 立派な煉瓦建築が立ち並び、西洋の通りと見分けがつかない大通りにありながら、銀座煉瓦街の交番は徹底して日本風で、外見はまるでボロ家だった。 しかも銀座四丁目の交差点の角だ。朝野新聞社、毎日新聞社、中央新聞社が近くにあり、その小屋はいっそう人目を引いた。 いずれにせよ、銀座煉瓦街の治安を守る拠点である。給料はわずかでも、原田巡査は毎日こまめに働いていた。 「めったに新聞をじっくり読まないが、驚くような記事がいろいろ載っている」 今日、原田は非番で、滝と連れ立って久しぶりに牛鍋を食べに来ていた。百木屋の二階で、原田はいまいちばん流行っている妖怪記事を読み上げる。 「ここに本紙記者が掴んだ情報を掲載し、読者諸賢に、花魁の失踪と、三味線に羽毛が生えた事件を報告する。笑話にこそふさわしい荒唐無稽ではあるが、近ごろ大いに好評を博している」 三味線の話が終わると、次は人魚捕獲の記事で、人魚は保護され、まもなく東京へ送られてくるという。 「呪われた妖刀なんぞもある。江戸から伝わる古刀に取り憑かれた若者が、たちまち悪鬼と化して妻と老母を殺し、子どもにまで手をかけた、と」 江戸の世から進……
## 第四話 気づく・気づかれる
1 「わあ——原田さん、滝さん、これはどういうことです?」 深夜の銀座煉瓦街でのことだ。 「支度中」の札を下げた百木屋の扉を叩く者があり、主人の百賢は肉切り包丁を掴んで、そっと外の様子をうかがった。 目を凝らすと、常連の原田と滝、二人の巡査だった。 「おや、今日はえらく遅いな」 客というより友人に近い。百賢は扉を開け、二人を店へ招き入れた。 ところが二人が店に入ったとたん、百賢と居残っていた常連の赤手は声を上げた。原田が、ぐったりと動かない男を背負っていたのだ。 座敷で美酒を味わっていた常連のお高姉さんが、思わず目を見開く。 「あら、どなたですの」 一階の座敷の隅に男を下ろすと、原田は百賢に頭を下げて詫びた。 「すまない。勤務中に、たまたまこの男を助けた。見てのとおり、意識がない。名前も分からず、仕方なくここへ連れてきた」 こんな時間では医者も呼べない……原田は思わずため息をつく。心配するな、まだ生きている。赤手が男の首筋に手を当て、そう声をかけて慰めた。百賢はそれを聞いて、明らかにほっとした。 「死体でなければいい。隅に寝かせておけば、そのうち目を覚ますだろう」 原田と滝はもう一度詫びてから座敷に入り、牛鍋と酒を注文した。百賢は台所へ向かい、お高姉さんが先に二人へ酒を差し出す。 「お疲れの顔ね。何かあったの」 お高姉さんは何気なく尋ね、すぐに眉をひそめた。原田の隣に座った滝が帽子を取ると、頭が血だらけだった。 「あら、これはまずい」 お高姉さんは盃を置き、……
## 第五話 花乃が逝くまで
1 「あなた、誰」 そう問うたのは、四十を過ぎてもなお美しい婦人、伊沢花乃だった。交番の中で、三尺を超える棒を、長刀を構えるように掲げている。 その長棒を突きつけられ、花乃の前で両手を上げているのは、銀座煉瓦街に勤める巡査だ。二十五、六の若い巡査は、わざとらしく「こわいこわい」と一声あげ、それからあっさり答えた。 「何度も言っただろう。姓は滝、フルネームは滝駿之介だ」 花乃は目を見開き、戸惑いの色を浮かべた。なおも長棒を手にしたまま、交番にいるほかの者たちを見やり、きっぱりと言う。 「これは、わたしの知っている滝駿之介ではない……でも……でも、滝兄さんにそっくりだわ。こんなこと、あり得るの」 本当の滝なら、もう四十五、六のはずだ。 花乃の声には惑いが滲み、長棒で滝を押さえていながら、今にも泣き出しそうだった。滝は静かにため息をつき、棒をそっと押しのけ、首を横に振った。 「申し訳ないが、伊沢夫人がご存じの滝駿之介という方と、わたしとでは年が違う。つまり、わたしはその人ではない、ということだろう」 つまり、花乃の知っている人物と、目の前の滝とは、同姓同名の別人であり、滝と同じ名の者は日本中にひとりとは限らない。 「そうだろう」 滝の答えはきわめて筋が通っていた。しかしその一言を口にしたとき、滝はなぜか、馬鹿馬鹿しいとでも言うように笑った。 東京・銀座の煉瓦街、円柱の立ち並ぶ擬洋風の街区の中央に、一棟の交番が建っている。 交番は朝野新聞社と、木綿・フランネルの専門店との間にあり……